とりあえず、脳内に渦巻く思いのひとつとして、文書化しておきましょう。
9〜10月の週刊新潮において、ちょっと興味を引く連載があった。それは「時代の寵児」または「錬金術師」=秋元康の、現在の地位を築くに至る”物語”を特集したものであった。
まず、彼は、新しいものを創造するのではなく、既存のものに手を加え、付加価値を与え、世間に受けるようなものを発想するという点において優れた才能の持ち主であったこと。
つまり、新しい時代を切り開くというよりは、パロディによって世間の関心を引き、ブームという嵐を起こす天才であったということらしい。
あるいは、若くして放送作家としてデビューした頃から、無類のギャンブル好きが縁で、裏世界の大物と親密な関係になり、それらとつるんで設立したのがアイドルタレントを発掘する事務所で、それが後のA○Bの母体となること。
面白いのは、「48」なる、ずっと意味不明と思っていた数字が、某アイドル集団の人数などではもちろんなく、上記の裏世界の男の名前を表すものだということ。つまり、某集団は、裏世界の闇金を資金として作られていったという。
おニャン子の成功に気を良くしてか、充分な財力とギャンブル精神と持ち前の才能で、いろいろな”投機”に手を出しては失敗も味わいながら、その果てにつかんだA○Bという一攫千金の大博打の成功。
そこには、「権利ビジネス」という、ギャンブラーの秋元らしい発想があった。彼をして億万長者へとのし上がらせた投機的金儲け戦術とは、すなわち、アイドルヲタク心理を巧みにくすぐる「権利商売」だというのだ。
つまり、アキバの小劇場を発端とし、現在のあまりに非常識で異常としか思えないCDのバカ売れによって、秋元を作詞印税成金にさせているのは、作詞を含む楽曲への評価などではまったくなく、「握手券」やら「投票券」などという、ファンがアイドルに直接触れ合え、あるいは影響を与えられる”権利”を商売することによってであるという論評。
確かにそのとおりだろう。素人同然の歌唱力しかない集団のCDが5,6作連続ミリオンセールなどという異常事態は、音楽的な評価とは関係のないところで、アイドルと触れ合いたい欲望が強大で、かつ金持ちの”一部のコアなヲタク”が、上記の「権利」を得るために、10万単位の金をつぎ込み、100枚単位のCDをまとめ買いすることによってもたらされたものに他ならない。
A○Bの「成功」とやらは、つまりは「権利」という美味しいエサで、お金持ちのヲタクを釣り上げる、卑俗な商法の結果といえよう。
秋元を含む製作サイドにとってもそのファンにとっても、CDや曲そのものは、あくまでもただの媒介に過ぎず、それを介して、意中のアイドルと長時間握手できる権利、あるいは推しメンを世間に名の通る上位メンバーに押し上げる権利を売買する商取引が公然と成立したのである。
取引といえば、そういった「権利」をファン同士で売り買いする二次的な取引も当然のように発生し、当該集団の(形式的には)国民的な人気の影響力もあって、社会問題化するような違法行為も少なからず起こっていると聞く。
また、往年のシール付きチョコ菓子よろしく、○○券欲しさだけで同じCDを馬鹿買いし、その券を抜き取って不要になったCDが発売日当日に中古ショップに並んだり、大量投棄されたりする惨状も生んでいる。
さらに言うなら、上述のような商法は、ホントの音楽ファンからすれば、楽曲、音楽というものを冒涜する行為に他ならず、まことに許しがたい暴挙であろう。
厳しいレッスンによって鍛えられた歌唱とダンスで、いい歌・パフォーマンスをファンに届けようと真摯に努力しているアーティスト志向の同業者に対しても、甚だしい背徳行為と言わざるを得ない。
そして、当のA○Bのメンバーも、所詮、秋元という金欲権化の妖怪の手のひらで踊らされている、哀れな操り人形なのだと、新潮は論破する。
最後には、秋元は時代の寵児などではなく、利権主義の時代が生んだ「偉大な山師」と結論付けるのである。
・・・と、こう書いたところで、私は胸苦しい危惧に襲われる。
上述したA○B商法は卑俗な惨状といえるが、我らがハロー!プロジェクトがその点に対して清廉潔白であると胸を張れるか???
ここ最近の現状を見るにつけ、その答えは極めて残念ながら、「ノー」であろう。
以前にも同じようなことを何度か書いた気がするが、CDに付属する抽選制の発売記念イベント参加券程度ならまだ可愛いものだが、「個別握手会」「チェキ会」などなど、やはり金持ちヲタに大量にCDを買わせ、あるいは金持ちでないファンの真理をも誘惑し、金を搾り取る戦術を、ハロプロも公然とやり始めている。
そう、これではまるで・・・いや明らかに、A○B商法の二番煎じである。グループアイドルブームの開拓者であり、この世界のトップランナーであるはずのハロプロともあろうものが、こともあろうに下劣な商法でのし上がった集団のマネをしているのである。
いくら後発の集団に、CD売り上げや世間的認知という点で圧倒的に抜かれたのが悔しいからといって、その卑しい姑息なやり方を踏襲し、同じ轍を踏もうとしているとは・・・。ファンとしてあまりに悲しく、情けない。
ハロー!プロジェクトという、歴史と実力を積み上げて、アイドル界に確固たる地位を築いてきた軍団の矜持はどこへ行ったか?
先日、週刊プレイボーイの特集について記事を書いたばかりである。そう、ハロプロは、そんな低俗な商法など使わなくても、鍛えられたパフォーマンス力と、プロ意識を持った若きフレッシュな娘たちの魅力で、充分勝負できる・・・はずなのである。
はずなのであるが、所詮”商売”でやっている事務所や販売会社にとっては、可及的速やかに売り上げを伸ばすことが最優先であり、そのためには、たとえ批判されるべき釣りエサ商法を模倣してでも、それを成さねばならない。それが経営者(利潤追求者)の理屈というものなんだろう。
財力があり、首都圏に在住している”ハロヲタ”はまんまとそれに釣られてしまうわけである。
幸いかどうかは別として、私はどちらにも恵まれてないので、釣られることもなく、遠方からこんな恨み言めいた毒を吐くくらいしかできない。それこそ、ただ指をくわえてみているしかない。
以前にも書いたけど、私の主張はもちろん私の本音であるが、同時に防衛機制的な羨望の裏返し、つまりただのひがみと受け取られても仕方ないでしょう。
ただ、ハロプロが某集団の真似事をしてまで売り上げに躍起になること、そうしなければならない状況は、はなはだ憂慮しているし、遺憾に思うのは事実。
何よりも憂うのは、当のハロプロアイドルたちのことです。そんな”大人たち”の策略のために、ただでさえ激しいライブパフォーマンスの疲れを癒す間もなく、イベントだ握手会だと駆り出される。
そういう”道具”として使用されるアイドルたちに、まったく見当違いの余計なお世話かもしれないが、私は悲哀を感じてしまう。
だから、たとえ釣られる条件を満たしていたとしても、私はそうはならない。
考えるほどに、まことに切ない思いに駆られる。地方の田舎暮らしの身には、握手会などのイベントなんて無縁だし、貧乏人ゆえ”権利商法”に釣られることもない私ではあるが、大きな危機感にさいなまれずにはいられない。
ハロプロはこの先どうなるのか?大好きなハロプロアイドルたちが悲しい”操り人形”にされてしまわないか?若きハロプロの楽しさ・面白さの裏に、こんな憂いがあることは、ファンとして悲しいことだ。
モーニング娘。を中心に、若き力が「王道復権」を目指そうと歩みだしたばかり。その時流に乗って、いろいろな手を尽くして売り上げを伸ばそうという販売戦略も理解できないではないけれど、そのために、ハロプロの最大の魅力である楽曲の良さやパフォーマンスクオリティの高さといった大切なものが、権利商法の媒介に貶められ、チープなものになってしまわないか?
これも以前に書きましたが、当のハロプロアイドルたち自身は、そんな策略的商法行為とは関係なく、純粋にファンと触れ合えるイベントを楽しんでいてくれるなら、それがせめてもの救い・・・。
まぁ、こんなことをいくら論述したところで、私には何もできない。ただ胸騒ぐ想いを抱きながら、成り行きを見守るだけである。
ただ、明確に言えることは、私はそんな権利商売とは無縁なところで、ハロー!プロジェクトのパフォーマンスを、そしてアイドルたちを愛し続ける。
それが私の矜持である。